2002-04-03 第154回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号
ところが、教育所ともいうべき研修センターが廃止される県も出ている。教育が軽視されているんですね。ぜひチェックをしていただきたいと思います。私は、そういう教育の中で意識改革を図ることが急務であろうと思います。そのことを申し述べて、本論に入ります。
ところが、教育所ともいうべき研修センターが廃止される県も出ている。教育が軽視されているんですね。ぜひチェックをしていただきたいと思います。私は、そういう教育の中で意識改革を図ることが急務であろうと思います。そのことを申し述べて、本論に入ります。
ところが、一九二六年、昭和元年です、樺太庁は、ウィルタ、ニブヒなどの五つの少数民族をポロナイ河畔のオタスというところ、これはアイヌ語で砂地という意味だそうですが、オタスに強制移住させ、かつ囲い込みを行って、その場所で、土人教育所で皇民化教育を強制しました。 それで、太平洋戦争が開始される。
理論学習は放送大学の活用を原則とし、技術学習は新たに移行教育所を設置し、実施する。三つ目に、移行教育修了者が受験する看護婦国家試験は、現行の看護婦国家試験と同一の試験を実施する。四つ目に、移行教育受講者が学習を継続できるように、学習環境に配意した学習推進支援体制を整備する等の提言を受けたものでございます。
○政府委員(小林秀資君) 移行教育所で実施をするのが技術学習でございますけれども、それは現実には、現在ありますところの看護学校等の施設をお借りして設置をするという形になろうかと思います。そこで技術学習を行っていただくということでございます。
それからもう一つ、技術学習の移行教育所というのがあるんですが、ここに二百七十時間受け持たせるということでございます。一体これはどういうことでこういう移行教育所が置かれるのか、そこについて教えていただきたいと思います。
ところが、昭和五年、教育所——土人教育所というものが設けられて以後、日本帝国政府は、強い国民意識に目覚め、ひたすら皇土開発のために建設的な努力を続ける。そして愚民、同化、隷属、臣民教育といったような植民地政策というものが急ピッチで進められてきたわけです。これによって平和であったオロッコ族などの居住民の楽天地であった土地や森の大部分は日本人の手で奪われる。そして彼らの生活というものが日々脅かされる。
この法律案は、最近における道路交通の実情にかんがみ、交通事故を防止し、その他交通の安全と円滑をはかり、及び道路の交通に起因する障害の防止に資するため、普通免許の技能試験を道路において実施するための規定を整備し、並びに指定自動車教育所に関する規定を整備し、初心運転者の順守事項について規定する等、初心運転者に対する教育の徹底とその資質の向上をはかるための規定を整備するとともに、免許証の有効期間についての
それから職人さんについて十分配意せよ、これは私も全く同感でございまして、何とか適当ないい方法があれば、専門の学校をつくるなり、専門の教育所をつくるなり、これらの地位をどうしたら上げられるか。
でありますから、再訓練、再教育所は、その多くが開店休業という状態であります。さらに、ただいま議題になっておる合理化法を進めていきますと、多くの失業者が出るのです。これに対して、この再就職に対して、政府は何らの具体的な裏づけをしておらぬのであります。それからまた政府は合理化を至上命令のごとく命令しておるが、これは命令する資格はありません。というのは、政府は一体合理化に金を出していますか。
ほかの五名は、昔台湾にあった蕃童教育所四年を卒業しております。
その後七月初めに特別の通信の教育所に移されたわけであります。それはモスクワの郊外で、私ただ一人だけそこに入りまして、約三箇月の教育があつたわけであります。それから十一月の末にモスクワを出発して、ハバロフスクまで私一人だけで送られたのであります。それからハバロフスクで一般の引揚者の中にまじりまして、十二月の三日に舞鶴に上陸したわけであります。
この問題については、私から運輸省の関谷政務次官に交渉をいたしまして、運輸省において十分にこの内容を充実してもらい、設備の充実をはかつてもらうということにして、商船大学に昇格をしようということを交渉して、よりより話合いをしておるのでありますが、目下のところでは、これはまず船員の再教育所でありますから、それとして内容を充実すること、設備も充実する、こういうことにひとつ進んで行こうという話合いになつておりますので
なるほど二十才に達しても、二十才の半年前とか、三箇月前にひつぱつたのであるから、せつかくこういういい教育所へ入れたのだから、もう少し教育してやれということは、これは親切が過ぎて、いわゆる過ぎたるは及ばざるがごとしということになろうかと思うのであります。
○芦田國務大臣 ただいま行つております警察官の教育所について、もし私が参議院においていつかそういうことを述べたとすれば、それは特殊の警察官の養成を指したものと御了解を願います。
昭和二十一年の文部省でやりました疎開學童の經費に關しまする明細書がありましたら見せて頂きたいと思いますが、疎開學童の經費はその後視察しますのに、何か戰災児童とか或いは貧困児童の集團教育所の費用に連繋があるということでありまして、その方面についてお教え頂きたいのであります。
それから私は実は最初に計画によりまする日程を終了しました後に、山下委員の要請などもありまして、廣島縣を二日間視察をいたしまして、廣島戰災兒育成所、これは山下委員の経営しておられるところでありますが、この戰災兒育成所、それから六万学園、引揚者孤兒を收容しておりまする新生学園、母子寮授産所並びに戰災兒教育所としての似島学園等を視察して参りました。
○証人(古橋浦四郎君) 入りますときに、各所に教育所がございまして、そこでいずれもちやんとした教育を受けて入るのでございます。ですけれどもそれらの者もどんどん代りますし、一年以内ぐらいの者は一番多うございましてそれらの間の者は非常によく代ります。本当に各所共大変な代り方でございます。
それから瀬戸内海の孤島である、似島にあります戰災孤兒教育所の視察をいたしたのであります。ここは開設まだ來月で一年になるというところでありまして、まだ建設中のものではありまするが、よく保姆さん達が、或いは先生達が協心協力、努力一致して兒童の教育に当つておるのであり、又感激を大いにするものがありましたが、何分にも小さい子供を、離れ小島に引つ張つて行つて育てるのであります。